小中学校で教員に給食の完食を指導されたことがきっかけで不登校や体調不良になったなどの相談が昨年5月~今年9月、支援団体に延べ1000人以上から寄せられていたことが19日、分かった。
完食指導が訴訟に発展した例もあり、支援団体は「給食は本来、楽しく食べて、食事の大切さを学ぶ場。強制は絶対にやめて」と訴えている。
支援団体は一般社団法人「日本会食恐怖症克服支援協会」(東京都渋谷区)。昨年5月に協会を設立した山口健太代表によると、相談は無料通信アプリ「LINE(ライン)」などを通じ、最大で1日20人から寄せられ、9月末までに生徒や保護者ら延べ1000人に上った。生徒や保護者らが集まって悩みを共有する場も毎月設け、東京や大阪、愛知など6都府県で計17回開いた。
相談内容は「完食指導に我慢できず、小学3年から不登校になり、対人恐怖症になった」「幼稚園登園を渋るようになった」「野球部での食事指導で、1年間吐き続けた」などさまざま。転校を余儀なくされた例もあった。
給食指導をめぐっては、当時通っていた小学校で教諭に牛乳を無理やり飲まされ心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、不登校になったとして、今年4月に男子中学生と両親が静岡県長泉町に慰謝料を求める訴訟を起こしている。
同協会への相談者は、過去の完食指導がきっかけで人前で食事ができなくなった20、30代が全体の8割を占め、うち7割が女性という。
指導の背景には食品ロス削減の観点もあるが、山口代表は「残飯ゼロは理想だが、問題は進め方だ。子どもはそれぞれ食べられる量が違う上、『食べろ』と言われるとますます食べられなくなる」と強調。「食べなければ、好き嫌いをなくすきっかけすらなくなる。適切な量を楽しく食べる環境をつくってほしい」と話している。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181119-00000030-jij-soci
私の通っていた学校は、ただでさえ配膳に時間が掛かるのに、当番の給食着の畳み方が悪ければ連帯責任で畳み直すまで食べられない。
センターの片付けの関係で昼休みに残って食べることが出来なくて、5〜10分で完食しなければならないこともザラだった。何年もそんな給食でしたから、おかげで早食いの癖がつきましたよ。
本来ならゆっくり噛んで食べるよう指導すべきなのに、学校によって圧倒的に時間が足りないのは考えものだと思う。せめて20分以上は必要。
行き過ぎた完食指導はやめるべきですが、残さない事を指導することは悪い事ではないと思う。
牛乳嫌いの娘は「保育園はダメだったけど、学校は残してもいい」と残すことが正当化されているような感覚があった。
「全部でなくても少しでも飲んで」と話したが9年間で飲んだ量は僅かだと思う。
食べられる量はかなり個人差があるだろうから、量を加減して配膳されると残さなくなるのかな。
そういう環境だったときと食べ物が溢れていて運動する場所さえ充分に与えられていない今の子供じゃ全然違うのだからやり方は変えていかないと。もちろん好き嫌いは良くないし完食できるのは良いことだからその方向に指導するのは素晴らしいことなんだけど。
しかし今の方が昔より子供の体重も減っているというのもあるし、親も食べさせるのに苦労します。昔とは子育てで苦労する点が変わっているのだろうなぁ。
均等に給食を配るのでは無く、食べれる量にして、おかわりしたい子に残りを配る方がフードロスも出なくなるのでは?
これが基本なんだけど、食べられる量には個体差があるから、学年の最初に食べられる量を見定める能力が教師には求められるのかな。
あとは、家で行儀作法としての出されたものは残さないを教えないといけないな。
その影響で食べる事が苦痛になってしまいましたが、高校に入ってお昼は先生のチェックがなくなりお弁当を友人と楽しく食べるようになってから食が楽しいと思えるようになったし食べ物の味もわかるようになりました。
好き嫌いもありません。
ある程度の指導は家庭と学校でするべきだと思いますが、無理強いはすると逆効果の事もあるので、食べる量は各々が調整すべきだと思います。配膳係に自分の食べられる量を申告する事ができると良いと思うのですが。
だけど、子どもによって食べられる量は差があるし、食べてみてどうしても苦手なものやアレルギーなども考慮すると完食を強要してはいけないと思います。
食べられるものを食べて、苦手なものはひと口ふた口頑張ってみる。赤ちゃんの離乳食みたいですけど、小学校低学年の子などはこういった見守りも大切かと思います。
好き嫌いなく食べることも大切だけど、みんなで楽しく食べるのも大切!食育の意味を先生がキチンと理解して指導していただけるとうれしいですね(*^^*)
何故残してはいけないか、無理強いではなく意図を教えるは大切だと思うんだけどな。
そのおかげか、うちの子は給食を嫌だと言ったことはないように思う。
これをどの教室でもやってくれれば量が多いから残すということは少なくなって、給食が苦痛ではなくなるのでないのかな?
身体が小さいことや年中さんからの2年保育だったこともあり、みんなの食べるスピードについていけず幼稚園の頃から1人だけ最後まで給食を食べていました。
シチューとパンが出た日、私は教室の隅に机ごと追いやられ他のお友達が遊びに行っている中で先生はホウキで床掃除をはじめ、ホコリが舞う中教室で1人黙々と最後まで食べさせられた光景を今でもトラウマのように思い出します。
各家庭で子どもの体の大きさにあった適量を時間をかけてゆっくり完食を目指すのなら何も問題はないと思いますが学校給食の量は一律。体の大きい子と小さい子ではキャパがそもそも違います。一概に完食しなさいというのは難しい話ですよね。それを強要なんて、もっての外かと。
私は好き嫌いやアレルギーは無い方でしたが、低学年の頃は食が細く、食べるのに時間がかかる子供でした。
昼休みに6年生が掃除に来ても食べきれず、埃舞い立つ教室に残されて黙々と食べていた記憶があります。
結局食べきれず、午後の授業が始まる直前に開放されましたが。
あれは忘れられない、鮮烈な記憶です。
今思うと、トラウマなんでしょうね…
不登校にはなりませんでしたが、楽しくなかった記憶は残っています。
高学年になったら、少しは早く食べ終えるようになりました。
一人一人、その子のペースがあるのを認めてほしいです。
コメントを見ると結構皆さん同じ思いをされているようです。
日本の教育そのものが、同調、全体主義であり、食事もその一環なのでしょう。
よその国の実情はどうなのでしょうか。
そうすれば、給食費未納問題も解決できるし、給食を完食させる必要もなく、双方にとっていい事では?
たとえ弁当を残したとしても、学校側が気にする事はないからね。残した弁当を親が見たらどう思うか、子供自身が考えればいいことだし。
確かに楽しく食べて食事の大切さを学ぶ場ではあるかと思いますが、
食料への感謝、生産者への感謝を同時に学ぶべきであって、アレルギーとかでないのならば最初から量を減らしてでも好き嫌いをなくすよう努力はするべきではないかと考えます。
ただ、美味しくない、嫌い、食べたくないという理由で食べることを拒否することは認めてはいけないと思います。
上記の形式で一通り全員が配膳を済ませた後、余ったものをもっと沢山食べたい人達が皆で分け合うようにしていたので残飯も少なかったです。
牛乳が体質に合わず、給食では量が多すぎて全部は食べきれず、無理して食べると午後からの授業が眠くて集中出来なかった私にはとても嬉しいシステムでした。
好き嫌いは無いけど、とにかくお昼に「量」を食べることが苦痛だったので…。日によってはパンと紅茶などで軽く済ませたり出来るのが本当に有り難かったです。
当時実際に給食費を払ってくれていた両親に意見を求めてみても、賛成とのことだったので自分で調節して食べていました。
勿論賛否両論あると思うのですが…大人になった今、改めてこのような方法も有りかもしれないと感じます。
そういった習慣がついていて、集団生活の中で好き嫌いはダメだと言われても、無理ですよね。
食べ物が溢れる時代だからこそ、食育は大事なのかなーと思いました。
我が家の子供達も嫌いな食べ物はあります。しかし、調理法や味付けを変えれば食べられることがほとんどです。給食ではできませんが。
一度嫌いだと思った食べ物を口に入れるのは、子供にとっては辛いことでしょう。
強要は良くないので、量が多いのであれば最初から食べられる量を本人に確認したり、苦手なら一口だけ食べようかなどの声かけのみで良いのではないでしょうか。
学校にあれもこれも求めるのは、先生の立場や労働環境を考えると無理だと思います。
以前も大阪で児童が「マズい」「とても食えない」と食べ残しが問題となるニュースがあったけど、今は何でも味が濃く、誰が食べても美味しいと感じる工夫がされ、ファミレスやコンビニの味付け、菓子や飲料の味が普通になり、それが基準となってるのが原因という事を踏まえた議論をしないといけないんじゃないか?
大人でもそう、コンビニ弁当やファミレスで食べる料理と、管理栄養士がカロリーなど計算して作った健康志向の料理、味で比べたら?
マズいとまでは言わなくてもどちらを食べるかと言えば前者を選ぶでしょ?
大人でもそうなんだから子供だけに特化した問題ではないと思う。
量は体格や体質の問題もあるから難しそうだけれども、偏食は食育の問題だから改善の余地はありそうだから、家庭でも学校でも考える必要はある。何でも残そうとするのは駄目だが、美味しく作ることとか、生産者のことを教えるだとか、バランスよく食べることの重要性とかも教えると良いかな。頑張れば食べられるものならごほうびとかで釣っても良いのかも。
小食の子やどうしても食べられないものはあるだろうから、それはアレルギーと同じように申告制にして残さないように配慮する。
残ったものは、食べ切った子の中でじゃんけんをしておかわりしてよいシステム。
栄養やバランスを考えて適切な量が決められているから、本当はきちんと決められた量を食べた方がいいんだろうけど、無理強いしてまで食べさせる必要はないと思う。ただフードロスについては社会科や生活科で小さいうちに学ばせるべきだと思うし、家庭での食育は大事だと思う。
今の子は食べ物に限らず、物を大事にしない子が多い。命、生産者、調理してくれた人への感謝の気持ちは忘れちゃいけないと思う。
大人になれば好きな物を自由に食べれば良いと思いますが、子供のうちは色々な味を経験して欲しいなぁと思います。
苦手なものを給食の時間に食べきれない場合、放課後一人教室に残り食べるまで帰られなかった。
まぁ、今の時代ではありえない対応ではあるし、あの頃の教師に感謝するという気持ちも特に生まれない。
嫌いなものは大人になるうちに食べられるようになる事も多いしね。無理して食べさせる必要はない。
ただ、心配なのは給食を完食させられるのが怖くて不登校って、この先の人生のプレッシャーに耐えられるのかな… ひ弱すぎる大人になりそうで心配ではある。ほんと、しょうもないことで自殺すんなよ。
学校検診に行くことがあり、大人になってから食べる機会があったけれど、やはり美味しくなかった…懐かしかったですが。
完食の強要はよくないですね。
自分もキツい思いはしたことがある。
ただ、児童とよく接するけれど、本当にただの我儘な子供も、急激に増えていると感じる。
イヤだといえば、どんな場でも我が通り、許されてきたのでしょう。親も、甘いのと面倒なのとで、たしなめない。
子供も、お客さま気分。
教員も、ものすごいストレスを感じていると思います。
どこかに線引きをして指導するべきだけれど、どこに線を引くかが問題ですね…
もちろん、その先生は教え方もしっかりしていて、その年の成績は伸びた記憶があるのですが(^_^;)。
完食指導がないと自分の食べられないものを自覚できないから、ありとは思いますが行き過ぎないよう教員の方には注意してもらいたいです。いじめのきっかけにもなるのですから。
食べ物を残すのは良くないというのは理解できていても体が受け付けないのです。
時間が経つにつれ固くなっていくご飯と向き合うのは泣きたいほど苦痛でした。
高学年につれて白飯も好きになり、大人になってからはそんな思いをしていたことも忘れていましたが、この記事を見てふと思い出しました。
給食の完食強制で好き嫌いが治るとはとても思えません。
大人の考えを捨て、子供の立場になって考えると給食指導は見直すべきだと思います。
田植え体験や農作物の収穫など、別の視点から好き嫌いをなくしていく方向になればいいなと思います。
息子だけ特別扱いをしてもらうわけにも…と思いましたが、他にも何人もそういう子がいたらしく、「苦手なものも一口は食べる」というルールに変えてくれて、その後は笑顔で登校するようになりました。
量的にも、小さい1年生にはまだ多かったのもあったのでしょう、大きくなるにつれ、多少苦手なものでも完食するようになってました。
食べる時間も結構短いのに、良く噛んで食べましょう!に、かなり無理があるとも感じました。牛乳も噛むように飲むと指導されたし(私が子供の時も)
そして、お友達ともお話ししながら…となると。なかなか時間内には厳しかったと思います。
子供が小学生の時は、昼休みを食休みにしてくれれば良いのに…と思ってました。食べてすぐにあんなに動くなんて…と。大人になったから思う事なんでしょうけどね。
ご飯の量が3段階あり高学年用の物は女子や食の細い子には多いのかも。たくさん食べたい子にあげたりはOK、先生が残ったご飯をおにぎりにすると奪い合いでしたよ。無理に食べさせるより楽しく食べる雰囲気も大切かなと。
時間が少ないのも問題あるかな。
残さず食べる、バランス良く食べるは家庭での躾だと思います。
高校生になりお弁当になった娘は温かい給食がありがたかったと言ってます。
学校に求めるばかりでなく家庭の役割を見直すのも大切だと思います。
それでも食べきれない量が出てくる、っていう事があるのかは疑問です。私自身が一番体の小さい子でしたが、食べきれなかった記憶はありません。今の給食は量が多いのでしょうか。
出されたものは残さず食べる、好き嫌いは言わない等は家庭内での躾の話です。学校に持ち込むものではありません。その子の将来のためにも直してあげるべきです。
ただ、アレルギーの子が増えてるのが心配です。牛乳も乳糖が分解されない子は学年が上がるにつれて出てくるので、配慮が必要だとは思います。これらが周りに理解されないのは本当に辛いです。みんなと同じものを食べたいのに『お弁当だ、ずるい』と言われても、涙しか出てきません。
それと子供たちに聞きましたが、先生が残しているところもあるそうです。こればっかりは論外だと思います。
堅く言えば前提が違うと思う。
文科省や農林水産省でいう所の給食はあくまで食育であって
楽しく食べてっていうのは理想であって
苦手でも学習の一部なんだから必要なことはやるべき。
もちろん、アレルギーや量の問題は考える必要はあるが
特に低学年時に「楽しくやりましょう」ってのを優先するのは
教育として堅く見るならばそれはちょっと甘やかしだと思う。
食育の方針とは別にフードロスなどを考えるならば
そもそも給食という個々に応じれない一律の提供体系が不向き。
家庭で弁当って言う話になると思う。
当然その場合は栄養バランスなどは家庭での教育になるが。
親が指導していないから、先生がしなければならなくなるのではないですか
集団生活をするということはそういうことではないですか。
それがいやならば無理に学校に行かせなくても
いいのではないですか。
ただ、義務教育ですから行かせるためには、就学前に親が指導しておくべきです。
その時は焼立てパン、ミルク、日替わりスープでした。
それにした目的は、パンとミルクで体格を作ると言ことでした。スープは栄養バランスの意味があったかもしれません。
こだわりがなくて、シンプルでしたので、昔はこのような問題は無かったように思います。
その給食のおかげで、両親は普通の日本人の体形でしたが、自分は人並みの体格になりました。
昔は費用もあまりかけることができなくて、このようなメニューになったかもしれません。
学校の給食は何のために行っているのか、家庭との違いをもう一度よく見なおしたほうが良いと思う。
関係者の方は、使う費用も給食の工程もいろいろ見直すことはできないのでしょうか。
子供たちが、給食を食べたくて学校に行きたいと思うような給食を作ってほしい。
文句を言う人は、きっと自分の子に対して好きなものだけ食べさせているのではないでしょうか。
親は、学校は子供の成長を考えてのことだということを理解する必要があると思います。
ただ学校は、家庭の状況を考えて、嫌いなものを一口だけでも食べさせるところから始め、徐々に完食できるよう持っていかないと、このような問題が生じるこということを念頭に置かなければならないと思います。
先生方の負担も考えれば、あまり学校に頼るのもどうかと思うが、共働きの夫婦だと家庭でも十分に指導しきれない現実。また、親がうるさくなった近頃は、教師がほとんど何も口うるさく注意できなくなっているのが気になる。
一昔前に比べたら、学校の給食は良く考えられていて、しかも美味しい…健康のためにも何とか完食してほしいと思う親も大勢いると思います。
無理なものは諦めてもいいのでは?
ただ、あくまでもその子に対して「諦めてる」って
ことは考えたほうが良い。
本来は親がある程度どんなものでも食べれるように
躾けることで将来の自分の子供にとっては何でも食べれる
事のメリットの方がデカイと思うけどな。
会社での付き合いも制限できるし、付き合い減れば
出世の確率も下がる。
栄養が偏って病気になりやすくなる。
最近私の周りで30代でのガン発症者が増えて
本当に自分の子供たちの未来を考えるようになりました。
そして強制とかこの時代ありえないだろう。残すともったいないのはわかってる。しかし、アレルギー体質だったり、体調不良があったり、あまりに嫌いな食べ物って無理に食べると戻したりしちゃうでしょ。食べれるものをしっかり食べる、少しずつでも食べてみる。それで良いと思うんだけどなぁ。そもそも好き嫌いの克服って父母の協力あってこそだと思う。
コメント
[…] 人前で全く食事ができなくなった (参考:ミノソクより) […]
好き嫌いしてもいいと思うけどね。食料に感謝とか、宗教でしょ。
大人でいちいち食料に感謝している人も、わざわざ嫌いなものを買って食べてる人なんていないのに、子供に完食を強制していい理屈はない。子供だって個人の人格がある。
最低限、給食費出してる親に感謝すれば残してもいい。
まずいものを我慢して食べて笑顔で感謝です、って嘘じゃん。
「好き嫌いするな」っていうのは感性の否定だよね。好き嫌いは自分の意思なんて関係ないのに。
で、好き嫌いしない子が素晴らしい子(笑)。別に努力した訳じゃなく偶然なのにね。
感性の否定は世の中は嘘だらけって知って社会に対して斜に構える人が増えるだけ。
あと食育って考えもキモい。食事なんて美味しく食べられればそれでいいじゃん。
なのにあーしろこーしろってうざったい。勉強もスポーツもできない、友達少ない子なんか給食くらいしか学校の楽しみないのに、それも潰すのかよ。